遠笛

左官−挾土秀平のブログ
オリジナリティ



今、いろいろ一気に重なって、追い込まれている。


コンセプトを伝えられたあと、
では秀平さんに全てお任せします。


そんな風に依頼された壁の作品的なものや、
デザイン的なものが



名古屋、東京で同時に10種を超えて…時間がない。

その間、

半年前から決まっている、
ただ者ではない人物との
緊張まぬがれない対談企画もある。
10種の中には、
人前でパフォーマンス的に、
作らなければならない仕事もあって、


これらを全て、
8月一杯で、おさめなければならない状況にあるのだ。


それらの10種を抱かえて、
色合い、肌合い、構図を考える。

何か、新しい発見を、
どんな些細なことでもそこに見い出したい・・・


左官は、図案化し、ペイントして終わりではない。


図案化した後、

素材を探し、色を肌合いを考えて、
その場所場所で大小にかかわらず、

ひとつひとつ土をこねて、実際に試さなければならない。

タイミングも測らなければならない。

その上で、

まず自分がカッコイイとか美しいとか

そこに
狙った美意識に、まずは自分が許せるか、どうか。

自分が、自分をパクってしまうマンネリになっていないか。


それをクリア出来なければ、
相手方にだって受け入れられることはないだろうと、いつも思う。


サンプルとして出来上がった塗り壁を置いて、
何日も何日も静かに見続けてみる。

昨日の自分と、今日の自分がどう感じるか?


感じ方が違えば、
その違いは何なのかを考えずにはいられない。

逆に、

感じ方が同じだったら、
自分にブレがないと信じて安心する…


でも、
必ず決まって感じ方が同じだ、という事は、見え方が単調で

相手に合わなければ
NOだ、と言う答えが待っているだろう不安にかられてくる。

オリジナルであればあるほど、不安がつきまとう。


自分の流儀は、図案を考えるとき
まず、はじめは正方形の枠組みで始める。


それは……。

思うに、

たぶん自分達の廻り全てが
圧倒的に長方形の中に生きていて、

記憶に長方形のある決まった構図(視界)が染み込んでいる。


だから
長方形の枠組みでデザインを始めると、
どこかで見たお決まりの構図になりがちで、
正方形は、縦、横がないぶん構図が取りにくく、

つまり息苦しいけれど無限で

それがオリジナルへの道に通じているのではと……体験的に思うのだ。


この十数年、
東京を中心に仕事や取材が定期的にあって、

訪れる様々な人たちが事務所にある
200枚近くのサンプルを見ると、


「良くこれだけの表現をしましたね、」
「一人の感性で思考したと思えないほど、多様ですね。」


幾度かこうした言葉をもらったことがあって、それはとても嬉しい。

日々200枚近いサンプルをながめる。

すると
2年前、3年前、5年前の自分を見て、

あの頃と今の違いを感じながらその先の進化を思う、


それらは、全て自分であり、
そのオリジナルであることが、今の自分をなんとか支えてくれた。


そんな折、
東京オリンピックエンブレムのパクリ疑惑ニュースを知った。


白紙撤回となった新国立競技場は、
東京だからの、金銭感覚もさることながら、

東京ならではとして、
なぜその設計が日本人ではないんだろうと

思っていたところの、このニュース……


パクった、パクらなかったという問題よりも、


両者は、どう見たって、
何度見たって、俺には同じに見える。

あのデザインの前者がある限り
クレームをつけられても仕方がないと思う。


このニュースに関連したコメントにこんなものがあった。


【T】を表現している縦のラインと、三角部分の隙間が
こちらは1・2ミリ離れているのに対して、
相手側は3・4ミリ離れています

デザインの世界では、これはとても大きな違いです。

とか言っているのを聞いて・・・・


テレビに向かって思わず 
『なんだそれっ!?』っと呆れてしまった。


まったくもって

【ゆがんだ金太郎飴】のような話である。



世界の一大祭典であるオリンピックが
東京に決まったというのに。


あんなに歓喜した日本開催が
これらのニュースにどんどん薄まっている。



良かろうが、悪かろうが
場所のチカラ、オリジナルの意思がなければ
ただの経済の活性化というように思えてしまう


競技場やエンブレム、
そういった意匠やデザインは
一番、国のムードや雰囲気を表さなければならない場所なのに。



東の果てのジパングと憧れられた独自性。


さかのぼれば、北斎や広重の構図や、
かまわぬの図柄や、家紋の紋様に、
素晴らしい感性が溢れていたのではなかったか。

エンブレムは
パクっていないにしても、
パクったなどと、ケチをつけられた時点でアウトそのもの。


パクったと言われ、そう見られてしまう事ほど
自尊心を傷つけられることはない。


それは、
一子相伝以外に、たとえ師であっても、
パクリはやってはいけない事であって


良かろうが悪かろうが、
オリジナルであることは、
自分が自分であることなのだ。


日々、生きている中で

最も嫌な、汚れた心模様になるものは


パクっている奴の気持ちと、
パクられた人の気持ちを想うとき


これほど、重苦しさがぬぐえないものはない。

堂々と、
あのデザインとは、ここのこの部分が違いますから
等と、必要にパクっていないとあれこれ説明している。


オリジナルとは、

他者と比較する必要のない、
      説明のいらないものだと思う。






| 最近のこと〜                   職人社秀平組(独立後の自分) | 17:26 | - | - |

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